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地震の真相~情報拡散希望

転載: 小松原師団長はソ連のスパイ? =ノモンハン事件で新説

転載: richardkoshimizu’s blog 

小松原師団長はソ連のスパイ? =ノモンハン事件で新説       作成日時 : 2011/12/09 13:12

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201112/article_48.html





ノモンハンでの負けっぷりには、前々から???と思っていましたが。要研究ですね。(辻政信参謀の「役割」についても)

●小松原師団長はソ連のスパイ? =ノモンハン事件で新説
時事通信 12月8日(木)16時38分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111208-00000105-jij-int

太平洋戦争勃発の2年前の1939年、当時の満州国西部国境で日本の関東軍がソ連軍と衝突、大損害を被ったノモンハン事件について、黒宮広昭・米インディアナ大教授(ソ連政治史)が日本とロシアの公文書などを基に、関東軍第23師団の小松原道太郎師団長がソ連のスパイだった可能性が大きく、関東軍はスターリンの巧妙なわなに陥れられたとの新説を唱えている。

小松原師団長は陸軍大学校卒で、満州国が建国された32年から約2年間、ハルビン特務機関長を務めるなど主に情報畑を歩んだ。38年に第23師団長に任命され、満州北西部ハイラルに駐屯。39年5月にノモンハン付近で発生した小競り合いに独断で部隊を出動させ、大規模紛争のきっかけをつくった。ソ連は周到な準備で機械化部隊を投入、同師団に壊滅的打撃を与えた。

黒宮教授が米誌「スラブ軍事研究」12月号に発表した論文によると、小松原師団長は在モスクワ日本大使館付武官だった27年、ソ連情報機関による「ハニートラップ」(女性を使って弱みを握る工作活動)に引っ掛かり、ソ連の対日情報工作に協力するようになったとみられるという。

ハルビン特務機関長時代には多くの機密情報がソ連側に漏えいした形跡があり、ロシア国立軍事公文書館などにそれを裏付けるファイルが保管されている。

小松原師団長に対するハニートラップ説はロシアの研究者が唱えていたが、黒宮教授は最近、この研究者にインタビューし、ソ連の元防ちょう機関員(故人)が情報源だったことを確かめた。

●ノモンハン事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

経緯

清朝が1734年(雍正十二年)に定めたハルハ東端部(外蒙古)とホロンバイル草原南部の新バルガ(内蒙古)との境界は、モンゴルの独立宣言(1913年)以後も、モンゴルと中国の歴代政権の間で踏襲されてきたが、1932年(昭和7年)に成立した満洲国は、ホロンバイルの南方境界について、従来の境界から10-20キロほど南方に位置するハルハ河を新たな境界として主張、以後この地は国境紛争の係争地となった。
1939年(昭和14年)にこの係争地でおきた両国の国境警備隊の交戦をきっかけに、日本軍とソ連軍がそれぞれ兵力を派遣し、交戦後にさらに兵力を増派して、大規模な戦闘に発展した。5月の第一次ノモンハン事件と7月から8月の第二次ノモンハン事件にわかれ、第二次でさらに局面の変転がある。第一次ノモンハン事件は両軍あわせて3500人規模の戦闘で、日本軍が敗北した。第二次ノモンハン事件では、両国それぞれ数万の軍隊を投入した。7月1日から日本軍はハルハ川西岸への越境渡河攻撃と東岸での戦車攻撃を実施したが、いずれも撃退された。このあと日本軍は12日まで夜襲の連続で東岸のソ連軍陣地に食い入ったが、断念した。7月23日に日本軍が再興した総攻撃は3日間で挫折した。その後戦線は膠着したが、8月20日にソ連軍が攻撃を開始して日本軍を包囲し、31日に日本軍をソ連が主張する国境線内から後退させた。 一方、ハンダガヤ付近では、日本軍が8月末から攻撃に出て、9月8日と9月9日にモンゴル軍の騎兵部隊に夜襲をかけて敗走させた。 9月16日の停戦時に、ハルハ川右岸の係争地のうちノモンハン付近はソ連側が占めたが、ハンダガヤ付近は日本軍が占めていた。
停戦交渉はソ連軍の8月攻勢の最中に行われ、9月16日に停戦協定が結ばれた。








       

by d451ddpp | 2011-12-29 20:13 | 情報拡散希望
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