転載: richardkoshimizu’s blog
ちきゅう号の小学生の健康調査を。 作成日時 : 2015/06/30 11:03
http://rkblog3.html.xdomain.jp/201506/article_233.html
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ちきゅう号ですが311当日、八戸港の岸壁にいて、震災時、津波を避けるため沖合数百メートルに移動した。そこで一夜を過ごした。
これが事実なら、同乗していた小学生たちは、311海底核爆発で、それほど高い被爆はしていないと思うのです。もっと沖合に避難していたら、空母レーガン乗組員と同じ運命だったかも。
ただし、陸前高田で津波を被った薪の放射線量が高かったことも考えると、予断は許さないかもしれない。
一応は、同乗していた小学生たちの健康調査をすべきですね。
2015/6/30 10:48
コシミズさんが講演会で話されていた311時に小学生たちを乗せていた「ちきゅう号」の件。 その件について少し書かれているブログ記事を見つけましたので、念のため貼らせていただきます。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/tarakun77/11410961.html
小学生48人、八戸沖で丸1日漂流も助かった 「ちきゅう」が岸壁に着いた状態で、子供たちが5つのグループに分かれ、船内を見学中、激震に見舞われた。「地上と同じくらい揺れたと思います」と同校職員。八戸市は震度5強を記録した。船長が大きな津波が来ると判断し、岸壁に押しつけられる危険を回避するため、船は沖合数百メートルに移動した。子供たちは1時間半の見学のはずが、沖合数百メートルの海の上で一夜を明かすことに。
学校側によると「乗組員の方々の指示が非常に冷静、システマティックで、子供たちに混乱はありませんでした」。泣き出す子供はいなかったという。 船内には食料の蓄えがあり、夕食はサラダやスープ、ポークソテーなどのバイキングで栄養をとることができた。夜は乗組員が場所を譲り、子供たちは眠ることができた。紙と鉛筆も提供され、学習の時間も持てたという。救助を待つ様子は「ちきゅう」のホームページ(HP)で、陸に向けて報告された。
漂流物が多く、津波の可能性も高かったため、岸壁に戻ることはできなかった。12日午後3時ごろ、海自のヘリコプターが救助のため飛来。子供たちは1列に並んで乗り込んだ。夕刻には、学校で保護者らと再会することができたという。
酢味噌
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